変化を愛する考え方

 

1年ぶりの更新です。ほぼブログの存在を忘れていました。

思い出した経緯は、僕の人生の中で大切な人のうち二人がはてなブログをやっているからです。今時はブログにも、数多くのサイトがあるのに驚きました。でも、どうしてこのブログなのでしょう? 僕はシンプルなデザインが好きだからです。他の二人も同じ理由だったら少し嬉しいなと思いました。

ブログの名前を変えました。前の名前は胡散臭い感じだったので、シンプルなものに。

 

このブログは、ふと考えたことをまとめるものです。今回はタイトルに設けた「変化を愛する考え方」についてお話しさせていただきます。いきなりですが、僕は言葉にあまり責任や、深い意味を感じてはいけないと考える時があります。言葉というものはあくまで人間が、その時の感情や環境に左右されて出た文句です。感情や環境は移ろうものであり、確かにその時感じていた偽りの無い言葉だとしても、それが一ヶ月、半年、一年と経過しても変化しないとは限りません。変化してしまうのは自然な事であり、仕方のない事なのです。

若者に流行っている言葉で“黒歴史”という言葉をご存知でしょうか?黒歴史を簡単に言うと、自らの恥ずかしい過去を指す言葉です。この言葉は基本的に現在と過去の自分を切り離したいという気持ちで使う事が多いと感じています。人間は基本的に自分の事が大切だけど、嫌いになってしまう生き物です。自分の事を一番知る本人は、結局、騙したり、誤魔化したりする事が出来ずにありのままの姿を見てしまうものですから、嫌いになってしまうのも仕方ありません。そんな自分を毎日見せられているのはとても辛いことです。だから人は変わろうとする。人は変化せずにはいられないのです。過去の嫌いな自分は黒歴史と託けて、切り離す事で自らを許しているのです。

話は逸れましたが僕が今言いたいのは「変化する」ということです。最近読んだ、原始仏教についての本の影響もあるのですが、すべてのことは変化していくのです。この場合、変化という言葉の中に、陳腐化、忘れていくということも含むものだと思ってください。

例えば今、あなたが失恋をして心に傷を負っているとします。しかし、今は辛くても来年には新しい恋人と仲良くしているかもしれないですよね。時間の経過や、生きていく中での新しい出会いは悩みごとを陳腐化させ忘れさせてくれるものです。もちろん、後遺症があったり、動物や人の死など、取り返しのつかないこともありますが、そのショックでさえ乗り越えられてしまうものなのです。

この世に絶対というものがあるとすれば、僕たちが過ごしている空間、それと、今も過ぎている時間です。僕は悩みごとに苦しむ人を、救ってあげられるような大した人間ではないのですが、悩みを和らげるコツとして、一つアドバイスを書いて終わりにしたいと思います。

自分の悩みと時間の流れを俯瞰してみて下さい。1年後、5年後、10年後には、なるようになっていると思えば、少し気持ちが和らぐのではないでしょうか? あまりお勧めできない考えなのですが、未来の自分に大きな期待をすることは、やめたほうが良いと思います。また、恥ずかしい過去や、消したい過去も今の自分を形成するものとして愛してあげてほしいです。

前回の記事を書いてから1年、いろいろあったような、なかったような…

僕も、少し諦めた姿勢で意識低い系ポジティブおじさん目指して精進していきたいと思います。

では。

 

ここだけの話、この文章は久々に見たブログタイトルの寒さに吐き出た言い訳です。