はけ口その枷、不眠と朝焼け。

過去の事を後悔しているようじゃダメだよって去年言われた。後悔しても意味がないのは解るけれど、どうしたって当て付けが欲しくなってしまうよ。

 

人格形成に悪影響しかなかった剣道

 

僕は25になる歳なのですが、周りの大卒の人は社会人3年目になります。四捨五入すれば30歳ということもあって、このままおじさんになってしまうのか?とか、悪くもないけど、良くもない生活に対して、これでよかったのだろうか?とか、そんなことを、多くの人が感じているみたいです。思い描いていた25歳と今の自分にはギャップがあって、それは責任を感じていないから。という結論に至りました。責任を感じるシーンは、おそらく住宅ローンを組んだときや、子供が産まれたときだと思うけど、たぶんそれでも大人になれない気がする。責任という言葉が適切かは分からないけれど、理想の自分になるという、誰もが目指す人生の目標に対しても、責任は存在すると思う。それは住宅ローンを組むこととは違って形式が定まっておらず、目標のレベルも、達成したという判断も自分がしなくてはいけない。目標を達成したと思い込んでも、やはり自分の気持ちに嘘はつけないものだから、僕は努力して何かを掴まない限り、大人にはなれないと思いました。
逃げているだけだけど、結婚や出産はあまりに非現実的だから、レッドブル飲んでもう少し勉強頑張ります。

 

なんか違和感…明日のこういう一日になるというイメージがわかないから不安で寝付けない。

 

カメラマンの人に、なんでも制約がない中でつくること、趣味嗜好を100%出して、作品をつくりたい気持ちは強いか?普段作るCMの仕事に不満を抱えたりすることはないか?と質問したら、その人は不満はあるけど、僕は表現したいことを持ち合わせていないと言った。カメラマンの人が本当に持ち合わせていないかどうかは、その人にしかわからない。好きにやってと言われた時に、ちゃんと表現したいことを出せるようにしたい。

 

半落ちを観て、いまひとつ感動できなかった。これは僕の経験不足、若さゆえだと思う。
映画って若い人が観てそうだし、そんな人達に作品賞として受けているのは、みんなそんなに達観しているものなのかと疑問を感じるが、きっと僕だけ劣等種なのだろう。

 

この、税込み98円のレトルト牛丼は牛の肉ではなく、社会から爪弾きにされた人間の肉で作られている。たぶん違うけど、そんな気がした。
同族を食べる僕もまた、そのうちレトルト牛丼になる。

 

休日を楽しみに待つような大人にはなりたくない。と文集に書いた中学生の僕に叱られた。
大人になって休日が楽しみになってしまい、何もなさないまま日々が過ぎていくことに焦りというより、不安が募っていった。父はずっと厳しかった。
しかし、僕が駄目になってしまった時、立派な人になれ、という重荷を解いた。「僕は家族に対して圧力をかけ過ぎたのかもしれない」と父は真剣な表情で呟いた。自分の信念を絶対に曲げない人が、後悔を見せたことに、驚き、のちに罪悪感が生まれた。僕は言葉にはしないけど、理解していた。圧力は僕のためにかけられていることに。
色々なことがあったけど、もう一度頑張ることにした。
直接、頑張れとは言わない父は、たまに手紙を書いてくれる。
僕にもう一度、重荷を背負わせてくれることが嬉しかった。期待してくれていることが嬉しかった。家族からの愛情をまっすぐに受け止められないのは、僕が期待に応えてあげられないからだ。愛情を受け取ってしまったら、裏切ることができなくなる。応えてあげられるだけの努力や責任をを負う覚悟がないのが問題だ。
もっと強くならなくてはならない。

 

何かを諦めた人生って、本当に生きていく価値のあるものなんだろうか?でも、人が生きている限りそれぞれのドラマがあるのも、たしかなこと。

 

見つけられなくて、何にも届かなくて、疲れて、信じれなくなって、何のために頑張っていたのかも忘れて、それでも虚無感だけは植えつけて去っていく。

みんな幸せになりたいだけなのに、どうして幸せになれないんだろう

 

僕は辞めたい気持ちで胸がいっぱいの中、辞めないですよ〜と苦笑いしながら言いました。

夜空があまりに綺麗で、白みがかる東の空に憎しみを覚える。
夜が好き。朝になると仕事に行かなくてはいけないからね。

 

飯だけは食えよ。お前の体は食ったものでしかできていないんだからな。別に何食ったっていい。帰りに弁当買っても、店で食べてもいい。独り者の男なんてみんなそんなものだ。
と、夢の中で言われた。
嬉しかった。

 

初めて会う人に、今日はいい天気ですね。と言ったら、「晴れて本当に良かったです。今日は小1の娘の運動会なので」と言われて、複雑な気持ちになった。仕事で会う人だから、その人はもちろん、娘の運動会に行ってあげられないわけで…

道端の雑草のように、誰にも見つけられず、ひっそりと息をしていたい気持ちになることもあれば、誰かと深く関わって、その人にとって大きな影響を与えたいという気持ちにもなる事もある。例えば、成人式の出欠を迷っている人がいるとして、説得して成人式に向かうように促す。その人にとっては成人式に行かなかった人生から、行った人生へと変わる。それが大きな違いかどうかわからないけど、関わってしまうことが大切だと思う。ひっそりと息をしていたいのと、誰かとの関わりによって自分を認識したいのは、行動としては正反対だけど、元をたどれば居場所を求めてるということに収束している。僕も居場所が欲しい。楽しく刺激的で、だけど落ち着いて眠れるような居場所が。
そんな理想郷のような、ひどい幸せを夢見る贅沢者の祝日の朝。

 

体調が不安定になると、いつも嫌な夢をみる。内容はだいたい決まっていて、愛さなきゃいけない人のことを殴る夢。
目覚めの気分は最悪で吐き気がする。外はまだ暗いから、夜の中を歩こうと思いつくけれど、そんな元気もないので、窓を開けてベランダの冷たいコンクリートに両足をつけた。

 

バイオリンをやっていてなにも良いことなかったと、仕事繋がりの人に話したら、真剣な顔で過去を後悔したりなにかの所為にしているようじゃダメなんだよ。後悔しない自分にならなきゃと言われた。いきなり真面目な話をするから驚いて、意味もよく分からなくてなにも返せなかった。たまに大人の人が、仕事とは〜とか、家庭とか生きることとか、経験から学んだ教訓や哲学を僕に話してくれるんだけど、いつもピンとこない。

 

物語で駆け落ちするとか、子供たちが逃避するとか、その手の話の終わりは、戻ってしっかりと話しをつけて円満となるハッピーエンドが多い。逃避願望が強いせいか、本当はどこまでも逃げてほしい。

 

 

友だちがオリンピックを観て、頑張ろうと思い、ハローワークに行ったので、オリンピックは素晴らしいと思いました。

 

生きる理由もないし、死ぬほどつらいということもない。生きてると感じるようなものが欲しい。

 

 

 

中1の頃に一番仲の良かった友達が死んだ。当時バリバリのビートルマニアだった僕は、ジョンの伝記にスチュアートが死んだとき「悲しい時は泣くんじゃなくて大笑いするのさ」と書いてあったのを思い出して一人、集会で笑った。そうしたら、みんなから軽蔑され、以来ぼっちに。灰色の学生時代を送る。

 

月に一度はプラネタリウムを観ないと心が濁る

アーティストになりたいって気持ち、きゃりーぱみゅぱみゅに託した。

六畳一間の部屋から自転車で通勤すべき人間なのに、いろいろと生活水準高くなりすぎて、後に引けない。ぜんぶ捨てたい。

 

いつも友達を一緒に入れてセルフィーする女子が、友達を入れなかった時、それは大抵、微妙な関係の異性。

 

原因は知らないけど、心を病んだ社員のこと、みんなで馬鹿にしてた。どんなコミュニティの中でも、誰かのことを蔑むようなことをして、自分たちの地位を安定させようとしてる。くだらないなぁ、

 

明日、朝起きたらドラゴンになってないかな。そしたら仕事休めるのに。

 

会社は利潤追求のためではなく、社会貢献をする資金のために利益を出しているっていう学者がいるらしいけど、話が前後してるだけで現象としては同じなんでしゅ。国が豊かになって、いろいろと便利なのは、利潤追求に必死になった結果とも言えるけど、自分の会社の利益、給料のために定年まで嘘つき続けるのはつらしゅぎ。ジュースの価値が10円なら10円で売らなきゃ嘘ですやん。仲介マージンがなきゃ人件費すら賄えないのはわかるけど、嘘ですやん。やっていて心が綺麗になる仕事はありませんか?

さっきまで見た夢の話で申し訳ないです。
アイドルの殺傷事件に偶然立ち会ってしまい、コンビニで買ったパンの袋にたくさん血がかかってしまった。それでもパンが汚れたわけじゃないから、上手に袋を破って食べていたら、こいつおかしい、あれ犯人??みたいな目で見られた。

 

世の中には明らかに常軌を逸する人がいる。理解したり仲良くしたりする必要はないけど、蔑んでいいわけじゃないよね。大人になると会社内外に立場があって長いものにまかれるようになってしまうから、偏見の同調が強くなってしまう。

お金なさ過ぎて、ろくにご飯も与えられずに、学校にも行けなくなった子がいる。家にあったクッキーに群がる蟻に話しかける事しかコミュニケーションができない為、精神の解離症状が起こしてしまい、今は元気でも、後遺症のようなものは消えない。 その子が今、幸せなのかどうかは分からない。当たり前のことだけど、親になるなら子供が不自由することのない環境を敷く事が必須。
当たり前のことができない人が多いけどね。両親の離婚する前後の事を思い出すと、恋愛に良いイメージを持てなくて、誰かと一緒になったりしたくないって言っていた人がいて、考え方は自由だけど、聴いていて虚しかった。人の生い立ちを聞いた中で、正真正銘悲劇のヒロイン文句なし1位の彼女は、今はとても元気に毎日を過ごしてるけど、恋愛に対する嫌悪感と性癖が歪んでしまったのが後遺症かな…

 

僕の名前も顔も忘れているのに、僕がまた遠くに行ってしまうことを哀しいと思ってくれている祖母。
寂しそうな表情で「遠くに行ったらあかんよ」なんて言うから困ってしまう。曖昧な記憶とは違う場所に、愛情をしまう引き出しがあるのだと思った。祖母とは3年に一度くらいの頻度でしか顔を合わすことがなかったから、そこまで深い愛情を受けてるとは思わなかった。だけど、本当に寂しそうな目をしていたから僕もいろいろ考えてしまう。

 

僕は結婚をしたり、父親になったりするタイプじゃないから家庭を持つことはないよと言うと、彼女は小さく笑いながら、私はそういう人と結婚してお父さんにするタイプだよと言った。

 

人の事を信じる、信用する、信頼できる、そういうものが試されるのは、きっと窮地の最中にしかないと思う。
試したり、試されたりすることがまず悲しいことなんだけどね。

夢のような時間を過ごすと本当に夢だったのではないかと、ついさっきの事を遠い日の記憶のように感じることがある。

 

 

帰り道の風に少し暖かいものがあって、許されたような気がした

 

良い味を知ってしまうともう戻れない、なんてことは良くあるけど、目の前により良いものがあれば、それを欲してしまうのが人間の性。
でも、たまに後悔する。こんな幸せ、知らなきゃ良かったと。

 

世の中に自分の名前を知っている人がいるということに嫌悪感がある。例えば、就活で提出した履歴書に目を通し、数分の面接をした採用担当者は、僕の名前と顔と学歴、電話番号、つまるところの個人情報を把握してる事になる。
けれど僕の本質的なものは何も知らない。僕も採用担当者の人の事を何ひとつ知らない。でもお互いの脳裏にはお互いの顔と名前が生きている。簡単に言うと僕の知らないところで、よく知らないおじさんに、ああだ、こうだと分析されたくない、という事です。